サイコロフィクションは安定して回す事ができ、いわゆるセッション事故が起きづらいと言われます。その理由について、つらつら思っている事を書いていこうと思います。例によって、筆者であるaoringoの個人的な持論であるのでそれを踏まえて御覧ください。

サイコロフィクションは参加者が等しく物語に影響を与える事ができる。

サイコロフィクションでは、参加者(GM・PL)が等しくシステム自体によって制御されます。それぞれに手番があり、決められた順序でシステムに処理させます。手番では指定された3つ程度の選択肢のどれかを選び、判定をして結果が反映されます。この時GMは物語の先導役として場面を描写しますが、その中でどのような事が起ころうが、結果として返ってくる処理はシステムによって完全に決まっています。

例えば、吸血鬼と戦うタイトル「ブラッドクルセイド」では、手番の人は敵である吸血鬼やその手下と戦う事が出来ます。極端な話、その時どんなにむちゃくちゃなロールをしようが、逆に一切何も喋らなかろうが、結果は変わらず「吸血鬼や手下と戦った」という選択肢の結果が帰ってきます。

他にもアイテムを入手、回復、交流など、様々な選択肢が提供されますが、全てシステムにより処理が決まっていて、それはGMも同様です。PLもGMも、行動の裁定をシステムに任せる事ができ、物語に与えられる影響が決まっているので、自然と「どこまでやればいいのか」というのが見えてきます。

GMもPLもシステムに縛られる

先の「ブラッドクルセイド」の例でいくと、吸血鬼に攻撃するという選択肢を決定したとして、地球を壊そうが自分を傷つけようが吸血鬼の心臓に杭を打ち込もうが、返ってくる処理の結果は変わらず一回の判定の可否でしかありません。その選択肢で何をしたとしても、システムとして機械的に処理され、結果を強制されます。そしてまた、それらの描写は手番であるPLにしか影響を及ぼさず、次の手番の人にはシステムとして機械的に選択肢が提示されるだけです。

カラオケボックスを例に出すと、隣の人(前の手番の人)がどんなにシャウトしようが走り回ろうが、自分(今の手番の人)からすると「うーんなんか隣がうるさいなあ。まあいいや、しっとりバラード歌おう」といったように、手番毎に完全に処理を分けて参加者の「物語へと影響を与える」量を平等に振り分けています。とはいえ手番同士で完全に切り分けられているかというとそうではなく、ルールの整備により参加者同士のコミュニケーションを維持しています。

システムの強制力としてGMもPLもある意味で縛り付けることで、参加者は等しく物語への影響を考慮したうえで最大限自分なりのロールプレイを楽しむことが出来ます。私はサイコロフィクションをTRPGにおいての発明品のようなものだと思っていて、その理由がここにあります。

サイコロフィクションは安定して物語を提供する事ができる

システムとしてGMとPLを縛るということは、参加者が誰であろうがコントロールすることができるということでもあります。そしてこれにより、サイコロフィクションは参加者の違いに限らず安定して物語を提供する事ができます。

サイコロフィクションでは手番が決まっていて、シナリオ中に参加者が何順するかを予め決めることが出来ます。ということは、指定のタイミングでイベントを起こし、決まった道筋で物語を進める事ができますよね。凄くボードゲーム的で、GMの負担少なくゲームの進行をする事ができます。

ここで、システムが判定の裁定をしシナリオ通りに物語を提供できるサイコロフィクションに、GMの存在は必要なのか? これはTRPGなのか? という疑問が出てきます。けれどもこれは間違いなくTRPGで、そしてGMもまた必要な存在になるように、きちんと自由度の余地を残しています。

サイコロフィクションでは、手番により物語への影響が一定になるように制御しています。これは、逆に言えば参加者全員が、突発的に起きるアドリブを軽い負担で受け取ることが出来るということでもあります。このアドリブ部分をTRPGとしての自由度として参加者に提供しています。

サイコロフィクションで巻き起こる予想外の出来事というのは、シナリオ・システムで計算された範囲での予想外に収まります。これは大喜利的な一面が強く、実際艦これRPGではこの面を強く押し出したルールが内包されていたりします。物語の中で自分のキャラクターが原作であるブラウザゲームから離れていく様を楽しめるようになっています。

PLにもGMにも等しく物語を先導する権利が与えられる

サイコロフィクションでは、PLにもGMにも等しく負荷がかけられます。参加者全員が「この行動をした結果、物語はこんな感じで進むんじゃないか」とある程度予測が立てやすいため積極的に場面を描写する事ができます。

慣れた人なら、自分が担当するシーンを、全て自分で描写し(NPCを含め)、GMが一言もしゃべる必要無く手番を終える事も可能でしょう。そういう風にPLに全てを任せても、物語はシステムによって堅牢に守られ、決まった処理によって結果が返されて滞りなく手番が進みます。

ここまで整備が進み見通しがいいと、GMも安心して進行する事が出来、PLも自身の行動が予想外の影響をおよぼす事がなく安心できます。

PLは自分の行動により物語が壊れることを恐れる

TRPGはコミュニケーションゲームです。他の人との関わりが必要不可欠になります。全員で物語をゴールへと導くために協力します。だからこそ、自分の行動により物語が大きく動いていく事に恐怖を覚える人というのは居ます。TRPGとしての自由度という大きな特徴が、逆に参加者を萎縮させてしまう枷になってしまっているのかもしれません。

扉が目の前にあると、予想以上に恐れ、多種多様の方法でその向こうに何があるのだろうかと探る人が居ます。こういう人は、GMが語る一つ一つの描写に敏感に反応していきます。そしてこれは簡単に伝播してPL達の総意となっていく事があります。

この部屋には何かあるのだろうか、机の下には何か無いか、いやそもそもこの部屋に入ったことは正しかったのだろうか。正しくなかったとしてそれは自分のせいではないか。次の部屋はどうしようか。次こそ何かあるのかもしれない。

これはひとえに、自分の行動によって、物語にどのような変化があるのか・影響があるのかわからない事に起因します。

そしてそれが逆転し、GMへの必要以上の負担をかける行為へと繋がる事もまたあります。どれくらいのストレスに物語が耐えられるのか、GMの力量はどれほどなのかという試行とも言える行為です。自分たちを制御している「ように見える」GMへ負担をかけて物語をコントロールしようとします。

本来であればこの未知の部分こそがTRPGとしての醍醐味でもありましたが、その部分につまづいてしまう人というのが一定数いるように感じます。

サイコロフィクションはまさにこの部分を解決しました。システムが負荷を受け入れ制御してGMとPLを縛ります。だからこそ受け入れられ、GM・PL両方から親しまれているのだと私は思います。

サイコロフィクションは全ての参加者が同じレベルで遊ぶ事のできる共通言語

例として、TRPG歴10年の参加者と、今日まさに初めての参加者が同じ卓についたとします。普通であれば、初めての参加者は、自分が何をしていいのかわからず、発言するタイミングを探して様子を伺います。どう他のキャラクターと絡めば良いのかわかりませんし、そもそも自分のキャラクターをどう表現していいのかわかりません。対して経験がある参加者は、それを察して語りかけ、徐々に「ロールプレイ」という物語へ影響を与える手法を教えていきます。

その初回セッションの結果、初めての参加者が楽しかったと思うのか、はたまた別の事を思うのかは未知です。自分の行動により、どれだけ物語が変化したのかよくわからなかったり、周りの人が先導した結果なんだか言われるまま動いてただけで終わってしまったり、そんな感想を持つかもしれません。

サイコロフィクションは、初めての人でも、経験者でも等しく同じ変化を物語に起こします。TRPG特有の自由さを見つつ、自分の行動で皆と同じように物語に影響をあたえることが出来ます。様々なタイプの違う、技量の違う参加者が同じレベルで遊ぶことが出来るのが、このシステムの最大の魅力です。

サイコロフィクションは自由度が低いか

こうやって見ていくとサイコロフィクションは、自由度が低いように見えます。確かに物語に与えられる影響は一定です。しかし、だからこそ参加者はそれを把握して自由に動くことが保証されています。

純粋な掛け合い、コミュニケーションによる参加者同士から自然発生する楽しさとシナリオの範囲から外れる事のない自分たちだけの物語を持てます。TRPGとしての本来の楽しさ、それを確実に提供できるように設計されているように感じます。

そうしてみると、サイコロフィクションは自由度を確かに確保し参加者に提供していることがわかります。今後もこのシリーズの今後が楽しみでなりません。

だからこそ不満が出る人もいる

今まで語ったサイコロフィクションの特徴について、「なんかサイフィクって優等生くせえな」と思った方は、間違いなくだからこそサイコロフィクションが苦手といった方でしょう。サイコロフィクションは全員が同じレベルで扱われます。物語へ与えられる影響も一定です。なので、だからこそ嫌。

サイコロフィクションはTRPGの楽しさをコントロールしています。GMとPLのやりとりから生まれる未知を探る楽しさ、そこをフルに楽しもうと思うと、このシステムでは縛りがキツすぎるという面がたしかにあります。手番性による一定のシーン運び、順番に来るスポットライト、制御された掛け合いのタイミング。だからこそ、ここまでTRPGプレイヤーを縛るからこそ発明品だと私は思います。

ここからどんどん「物語に与えられる影響」の量を増やしていくと、縛りがきつくない方へ、きつくない方へと他のシステムを選択していくことになります。

TRPGシステムはそれぞれが独自のルールを持っていて、世界観を再現するために様々な処理を行います。自分のフィーリングに合う、楽しめるシステムを探すのもなんとも言えない感覚になるものです。


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